人生初の一人旅はインドだった。インドは一人で行くべきという女友達の言葉に従い、大学の長い夏休みをフル活用して、バックパックを背負って出発した。カルチャーショックを受けることは十分覚悟の上、何ならそのために行くんだ!と意気込んでの旅だったが、日本でぬくぬく暮らす自堕落女子大生に想像できることなんて限界がある。今回はインドに降り立って最初の洗礼となった物乞いの話をする。
物乞い初体験
物乞いへの対処
物乞いをされたらどう対処するか?インドに行く前に考えておいた方が良い。物乞いにはどんな人がいるのか調べることは簡単だ。その上で、なぜその対処がいいのか?自分で納得できる答えが用意できれば言うことなし。私はと言えば、「きりがないから物乞いは無視。以上!」と強気に考えていた。「無視」という対応は間違いではない。ガイドブックにも無視しろ、と書いてある。インド人だって無視する人が殆どだ。
本当に無視できるのか?
しかし、インドに行けば「無視」がどれだけタフな行為か初日に気付いてしまう。質素な花束を買ってほしいとか細い声で訴える10歳にもならない女の子を見ない振り、辛い。ぐったりした子供を抱いた母親、手足のない青年、日も昇らない時間からお土産を売る少年…。私が初めて物乞いをされたのは、上の漫画に描いた上品な家族だった。なんの構えも無かったので、無視する暇さえない。そして、どう対処したいのかノーアイディアの私。「お金?余裕ない!えーとえーと」とバックパックを意味無く漁って出てきたのが、機内食のパンだった。カチカチで味気のない丸パン。取りあえず「これどう?」と渡してみた。「こんなものいらん、マネーマネー!」とごねられる覚悟もしたが、彼らは手を合わせてすんなり立ち去った。あんな一見普通に見える家族が食事に困っていることがショックだった。そしてその食卓にカチカチパンを提供してしまったことが悔やまれてならない。もっと美味しいもの…、いや、お金の方が絶対にましだった。
お金を渡すことの是非
インドに限らず、中東やアジアの多くの国ではバクシーシ(喜捨)の習慣が根付いている。余裕のある人は貧しい人へ喜んで施しをするのが当然、という文化だ。従って、このような国で物乞いにお金を渡す行為自体は間違いではない。目の前で飢えている人が今日の糧を得られるのなら、その人にも、私にも利はある。日本で何らかの慈善団体に寄付をしても、その何%が誰に届いているんだか分かったもんではないことを考えれば、よっぽど私への利はある。
ただし、物乞いの裏には悪い人がいることもある。花売りの少女の売上げは丸ごと元締めが持って行くかもしれない。手足のない青年の自由を奪ったのは、金に困った両親かもしれない。あまり簡単にお金を渡すことは、そいういった悪事を助長する可能性だってある。
また、現地の物価に見合わない額を渡すのは絶対に良くない。うっかり現地の日当になるような額のお金を渡そうものなら、明らかに周囲をざわつかせる。俺も俺もと面倒な輩が集まってくるし、どこかで見ている誰かのカモにもされかねない。無知と現ナマを晒す行為、ダメ、絶対。
私の対処ポリシー
今、私の物乞い対処ポリシーはこうだ。
- 欲しいものを欲しい値段で買えるなら買う
- 大勢の物乞いがいる時は逃げる
- 元気そうなのにただ「マネー」と言ってくる輩は無視する
- どうしようも無いときは小銭を渡す
- 小銭も無いときは「すまん」と言って立ち去る
結局、全ての物乞いパターンに適応する対処マニュアルは無い。海外に行く前に現地の平均収入を知っておくこと。危ないと感じたら荷物を捨てて逃げる覚悟をしておくこと。最低限、これを忘れないようにしたい。
コメント